自信がないひきこもりニートに対して、自信を持ってとか前向きにとか励ます人の正気を疑ってしまう

部屋にひきこもっているだけの自信がないひきこもりニートに向かって、自信を持てとか前向きにとか励ます人の正気が私には信じられません。

別にひきこもりを励ます行為を否定するつもりはありませんが「えっ!?」という意外に感じる気持ちがあります。

そういった前向きな自分を温かく励ましてくれる言葉が大好きなひきこもりニートもいるのでしょうが、少なくとも私は違いました。

前向きな励ましの言葉を求めていなかった元ひきこもりニートの考えを残しておこうと思います。

自信がないひきこもりに対して、自信を持ってとか前向きにとか言う人の正気を疑ってしまう

ひきこもり初期をとっくに超えて、長期に渡ってひきこもっている当時の私は自信喪失状態というか劣等感まみれの状態というか精神的にウツ状態でした。

そんな自信のかけらも持てない人間が、「あなたならできる」「まだやり直しは聞く」「大丈夫」「あなたには価値がある」とか言われてもまるで心に響かなかったです。

けれど、ネットを検索をしてみると、「ひきこもりを肯定してあげましょう」「受け入れてあげましょう」「認めてあげましょう」といった意見を上位にちらほらと見かけてびっくりしました。

特に驚いたのが、元ひきこもり体験者という人がそうした前向きなメッセージを現ひきこもりに対して書いてある記事を見たときです。

 

性格や方向性の不一致

ひきこもっている最中の人でも、前向きな言葉を求めている人がいるんだということが意外でした。

ただ、思い返してみると、私もひきこもり初期の頃はそういった前向きな言葉を求めていた時期があったかもしれません。

また、私はひきこもり体験のある人と出会った経験はほとんどありませんが、思い返してみると、確かに私と違って常に前向きな言葉を求めてそうなタイプの人もいたなと思いました。

でも、私の出会ったひきこもり体験者の多くは、私がそうだったから同類で惹かれ合ったのか、どちらかというと後ろ向きな考え、というよりも、中間的な考えで社会に出ている人の方が多かったです。

実際に話していて、フィーリングが合っていたと思います、
人生をより豊かにとか、より良くとか。上手くやろうとか。頑張ろうとか。そうしたポジティブさがない人たちでした。

ニュートラルな人は、話していても互いの立ち位置を否定する感じはなく、ただ話しているだけの穏やかな感じなのが好きです。

特に精神的にやられているときは、ニュートラルな人との会話は安心感があり、癒しでもありました。

意識高い系の人や前向きな人やポジティブな人は、もちろん全員なのではないのですが、どことなくその人たちは自分の持つ正しさを押してくる感じを漂わせて話す人が多くて苦手でした。

前向きな励ましをしてくる人もそうでした。

ということで、ひきこもりでも私のようなタイプの、正しさを押してくるポジティブな空気が苦手な人間に対しては、前向きな励ましを送るのは逆効果でしかないと思っています。

自信がないひきこもりに前向きな頑張ろうみたいな励ましは効果がない

ひきこもりニートでも後ろ向きなネガティブ思考が強い人間に対しては、前向きな励まし言葉は逆効果だと私は思っているわけですが、その理由について、上記で述べた性格的な不一致の他にも、もう少し述べておきます。

 

励ましを言う人が信用ができない

私は実績もないことに対して理由も添えずに「自信を持て」と言ってくる人に対しては胡散臭い気味悪さを感じてしまいます。

この人は特に考えもなくテキトーに励まそうとしているだけなのではないだろうかと内心で首をひねってしまいます。
(これはひきこもりを脱出して、社会に出てからも感じていることです。部下に好かれない上司は部下にかける言葉がテキトーな気がしています)

なぜなら、自信とは、今までの人生における過程や結果、実績があって、根拠を持つことで、初めて生まれるものです。

「そんなことはない。自信とは思いこみなのだから、あると思いこめば実績がなくても自信を持てる」という人もいるかもしれません。
そういう人は何もなくても自信を持てるメンタルが強い才能ある人か、もしくは、人生で得た(別の)実績から来る自信を転用して(別の)物事に当たっているだけなのに気づいていない人でしょう。

極端な話、宝くじを1枚だけ買うとして、そのときに「自分のくじは絶対に1等当選で1億円だ」なんて心の底から自信を持てる人なんているのでしょうか?

そうそういないでしょう。だって、信じられる根拠がないからです。

自信という感情は、なにかしらの信じられる根拠をその人が持っていて初めて芽生える感情です。

だから、ひきこもりニート状態の私に、その人がなにを根拠そんな前向きな励ましを言えるのか。その言葉が信用できなかったです。

(しっかりした説得力のある根拠に基づいた言葉でしたら違うのかもしれませんが、私がひきこもっている間に聞いた言葉は残念ながら、下地のない上辺だけのうすっぺらい言葉ばかりでした)

 

ひきこもりニートが自分に前向きな自信を持てるわけがない

前向きな励ましの言葉を送られたときに、「自分は大丈夫」「やればできる子」「頑張れよ自分」「まだ本気出してないだけだから、明日から外に出るから」と私も自分にポジティブな言葉を言い聞かせてみたことはあります。

でも、無理でした。
たとえ、気分が上向いたとしても、上向くのはだいたい10分くらいです。
1時間も経てば、すっかり元通りのダメなネガティブひきニートでした。
むしろ、前向きな気持ちを長続きさせることもできないのか余計に落ち込むのが毎度のパターンでした。
自分のダメさ加減に、無駄に疲れるだけだったのを覚えています。

そもそも、ひきこもりニートという罪深いことをしている時点で、私がこの世で最も信じられない人間は自分でした。

成功哲学書に書いてあるような、高い自己イメージなど抱きようがなかったのです。

 

私の場合は、余計に苦しいというか、言い聞かせている言葉と現実のズレをより感じるだけで、まるでよい効果は得られなったです。

(催眠、自己暗示、アファメーション、コンフォートゾーンとかの扱いを上手くできる人であれば、よい効果が得られたのかもしれませんが、私には無理でした)

無理に「自分はできる」みたいなことを言い聞かせたところで、自分の心は騙せないし、納得できないし、信じられない。

結局のところ、ひきこもってしまった空っぽの自分に拠り所とできる確信をひきこもり本人が持てなければ、どんな励ましの言葉も無意味なんです。

もし、ひきこもりニートに送る言葉があるとしたら、それは「自信を持て」ではないのではと思います。

ひきこもりニートに働く自信って必要ないですよね?

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