ひきこもりニートに働く自信って必要ないですよね?

ある程度の長期間をひきこもりニートとして過ごすと、ひきこもりニートは仮に働きたいと労働意欲がわいても、その次には「働く自信がない」「働くのが怖い」「そもそも、外に出るのが怖い」と怖気づいて、結局は働くことができないというパターンになる人がいる。

かつての私がそうでした。

でも、冷静に自分を見つめて考えて欲しいのですが、ダメ人間の代表格であるひきこもりニートに、働く自信って本当に必要ですか?

そもそもひきこもりニートが、ある日からいきなり前向きに自信を持って外に働きに出るって無理じゃないですか?

ひきこもりニートに働く自信なんて私は不要だと思います。

自信がないから行動できないという考え方は、自分に対する期待や自分の行動に対する成功を前提にしていることから生まれる考え方でしょう。

ひきこもりニートでダメ人間だった私は、自分に期待をしなくなっていたので、最初に働く上で自信なんて求めることはしませんでした

自信とは何か

ひきこもりニートに働く自信なんて不要だと私は思っていますが、その理由を述べる前に、そもそも「自信とは何か」について小難しいことを書かせてもらいます。

ちなみに、私は専門家ではないので、適当なことを言わせてもらいます。

「自信」という感情は、おそらく生物の生存戦略として、物事に迅速に取り掛かることができるようにするために本能に組み込まれた機能だと思います。
(もし興味がある人は進化生物学や進化心理学、脳機能学などの本をお読みください)

大昔のような社会状況がほとんど変わらない、狩猟や農耕中心の原始時代の人間からすれば、遭遇する状況のパターンは限られていたでしょう。

その限られた状況パターンにおいて、成功体験を積み重ねた状況と同じパターンに再び遭遇したときに、自信を持って迅速に動くのは(特に狩猟時に)生存戦略として理にかなっていたと思います。

同じ状況で、成功する確率が極めて高いとわかっているなら、悩んだり考えたりせずに迅速に行動できる能力は、精神的に省エネでラクチンでとても大切な能力でした。

また、初めての状況パターンになったときに、「不安」になる機能も原始時代はとても大切な能力でした。なぜなら、自分の命をかけて狩猟しているときは、一つの判断ミスで簡単に命を落としたからです。

原始時代なら不安を感じたときに臆病なくらいに慎重な行動をすることは、生存戦略として理にかなっていたと思います。

 

 

現代社会においては必ずしも自信を持つ必要はない

原始時代と違って、現代の場合は社会が高度化して複雑化しています。

原始時代には理にかなっていた生存戦略が、現代では役に立たないことがあるのです

(生物進化とは、とても長い時を経てゆったり起きるらしいので、社会に変化にすぐに適応はできないそうです。つまり、人間の本能的な機能は、社会に対して必ずしも最適な機能ではないということです)

 

原始時代と違って、狩猟で生活をしようなんて人は現代では小数でしょう。

ふつうに現代的な職業について働いている人が大多数です。

働く上で、あるいは、働き先を検討する上で、瞬間的に迅速に行動する必要がないのならば、自信を持つ能力は別に必要ないのです。

昔に比べて、「自信」という感情が持つ効果の重要性は格段に落ちているのです。

もちろん、現代でも迅速に行動することが大切な場面はおおいにあります。
特に瞬間的な対応を求められる対人対応(コミュニケーション)の場では多いというのは想像しやすいと思います。

誰かと話すときに、応答の度にいちいち悩んで不安に思って言葉を返せないというようではタイミングを逃してしまいますから。

私は飛び込み営業職を2年ほど経験しましたが、自信がなければ売るのは無理だったと思います。

でも別に職業なんて色んな種類があるのですから、常に自信が求められるような職を選ばなければいいだけのことです。

 

また、一度の小さなミスで命を失うなんてスリルに満ちた生活をしている人だって、現代においてそうそういません。

つまり、現代においては多少の失敗をしたところで、それで人生が終わるわけではないのです。

仮にひきこもりニートが、社会に働きに出ようとして失敗したところで、失うものなんてたかが知れているのです。(いきなり重要な仕事を任せれることはまずないですから)

失敗をしたところで、たいしてダメージなんて受けないのです。

おそらく、「恥をかいた」「恥ずかしい」「やっぱり自分はダメな奴なんだ」「社会はひきこもりニートに厳しすぎる」とかの軽い精神的なダメージくらいじゃないでしょうか?

私の経験上では、これくらの精神的なダメージなら、体中にびっしり冷や汗をかいたり、まばたきの回数が急上昇したり、泣いたり、トイレに駆け込んだり、挙動不審になったりする程度のダメージです。

身体や人生に実害を伴うような大ダメージを与える失敗ではないのです。

だから、失敗をしても失うものなんてないのだから、過度に不安に思う必要もないのです。

 

常に自信を持って物事に取り掛かるという考えは非効率で疲れる

頭のよい人は、複雑化した現代社会のどんな状況においても巧みにパターンを見つけ出すことができて、整理することができるのかもしれません。

そして、見つけだした状況パターンを、今までに経験した成功体験と類似のパターンとして捉えることができたなら、そのときの成功体験を元に常に自信を持って物事に当たることができるのでしょう。

 

でも、これは頭のよい人だからできることではないでしょうか。

あるいは、頭のよい人でも、成功体験と類似のパターンを見つけ出すことができなかくて、まったく新しい初めての状況パターンに出会うかもしれません。

そうしたら、過度な不安に襲われて、自信をなくすかもしれません。うまく行動できなくなるかもしれません。
(なので、頭のよい人でも一度の失敗で転落していくことが起こるのかもしれません)

 

あるいは、成功できるパターンを見つけたと思って、自信を持って取り掛かってみたけれど、実はヒューリスティックとバイアス認知によって、パターンの見つけ出し方が間違っていて失敗する可能性だってあります。
(興味がある人は行動経済学や認知心理学などの本をお読みください)

自信を持って行動して、それで失敗したら逆に精神的なダメージが大きくなるでしょう。

つまり、常にどんな状況でも自信を持つのは難しいことですし、自信を持って行動したからと言って結果が成功するわけでもないのです。

 

この話を聞いて、自信を持つことって難しくて面倒くさい上に、あまりメリットがないなと思いませんか?

自信を持って物事に取り掛かるという考えは脳も心も疲れます。

別に長期ひきこもりニートからの脱出に限った話ではなく、未経験の出来事なんて人生を生き続けていれば、(一生部屋にひきこもっているでもなければ)いくらでも体験せざるを得ないです。

重大な決断なら話は別ですが、小さな新しい出来事の度に、無理矢理に自信を引っ張ってくるのも、過度に不安になるのも疲れます。

私は自信を持って物事に取り掛かるのはデメリットの方が大きいなと思いました。

 

自信を持つことに多大な時間や労力を割くくらいなら、あるいは、不安に思って悩むくらいなら、別の考え方(生存戦略)をした方がメリットが大きいのです。

瞬間瞬間の対応が求めれている行動や重大決断でもない限り、(ネガティブ思考ベースの人にとっては)わざわざ自分に自信を持ってから行動に取り掛かることは、現代においてはむしろ非効率です。

 

ひきこもりニートに必要なのは働く自信ではなく、勇気ですよ

ここまで読んでくれている人は、たぶん「ひきこもりニートが自信を持つことは役に立たないことはわかったけど、じゃあ、どうすればいいの?」と思っているかなと思います。

その答えはあえて、極端に言わせてもらうならば、一つです。

アホになることです。
まずは初心に帰って、赤ん坊からやり直すことです。

初めての状況パターンに出会っときに、不安に思うのは大なり小なり人間なら誰しもが抱く気持ちです。

本能に刻まれた機能で、年を経て成長するに従って(不必要だとしても)勝手に強化される機能だからそれは仕方がないことです。

でも、それは不要な機能なんだと意識さえすることができれば、個人差はあるでしょうが抑えることができます。

赤ちゃんを想像してみてください。

赤ん坊がなにか行動を起こすときに、いちいち結果まで想像して、「成功するかな? 失敗するかな?」と考えていると思いますか?

そんなはずはありません。

ひきこもりニートも、赤ん坊のマネをすべきです。

いきなり難しいことをする必要なんてないのです。簡単なことだけに力を注ぐべきです。

「自信が欲しい」とか「不安で動けない」とか、そんな難しく高度なことを考えるのは、まったくの無駄です。

 

ひきこもりニートに必要なのは、自信ではなく、自信がなくても行動できる能力です。

常にゼロからでも進んでいけるアホさが必要なのです。そのアホさを人は勇気と呼ぶんです。

ひきこもりニートよ、勇気を持ちましょう

自信がなくても行動できる能力をベースにすれば、迅速さはなくても、精神状態の過度な浮き沈みがなくなり、安定して少しずつでも行動を起こすことができます。

カッコよく勇気とか言ってみましたが、とりあえず結果なんて気にせずに、とりあえず思いついたままに考えなしで行動しようという、誰にでもできる簡単なことです

失敗しても死にはしませんから安心して考えなしで行動できます。

私は実際に考えなしで行動して、わりと勇気をパリンパリンさせて砕かれていますが、それでもなんとか生きてはいます。

勇気をなくしたら、また、勇気を生み出しましょう。

実績いらず経験いらずで考えいらずの勇気って、自信よりも生み出すのにとても簡単で省エネだなと実感しています。

自信がなくても行動できるニュートラルな思考ベースの行動姿勢はラクチンです。

(自信は行動しているうちに、わざわざ自信を持とうなんてしなくても、イヤでも勝手に芽生えてくるのでまったく意識する必要なんてありません)

勇気戦略はひきこもりニートには有効だと思いますよ。

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