あるひきこもりニートの特徴

私が考える引きこもりの特徴です。というか、昔の私の性格の特徴を列挙してみます。

人それぞれでしょうが、ひとつのパターンとして参考になればと思います。
(ひきこもりが進んでいって、社会復帰したパターンになります)

初級や中級などのひきこもり進行度のランクは私の経験談から来るものなので、ふーん、こんな感じでひきこもりの症状が深化していく人もいるのだなくらいに思ってください。

初級引きこもりの特徴

ひきこもりはじめたばかりの頃の特徴です。この頃は、わりとまともな感性を持っていたと記憶しています。

自分勝手に救いを求める甘さやずるさ、現状をどうにかしたいと思う苦しさなど、ダメ人間で精神的に不安定ではあるけれど、人間らしい精神活動をしていたと思います。

 

誰かが助けてくれるのを待っている

普通に人と交流してまともな性格だった頃と比べて、部屋にひきこもるというあまりに異常な行動を取っているんだから、誰か(親)がが助けてくれると思っていました。

苦しいひきこもりニート状態から救ってくれる手段や人を(親が)持ってきてくれると思っていました。

家族にいら立ちを感じる

特に助けようとはしてくれないので、助けてくれないのでいら立ちを感じます。身勝手にも怒るという行為をします。

同級生など幸せそうというかまとまな人間を思い浮かべると辛さを感じる

みんなはまともに幸せそうに過ごしていて羨ましい。

自分はつまらない人生で、助けてくれる人もいないのにと、辛さを感じる。

自分の人生に焦りを感じる

このままひきこもりを続けていたんじゃ、社会復帰なんて無理になってしまう。どうしよう。どうしようと焦りを感じています。

臆病者である

ひきこもりは自分に自信がないので、失敗を極度に怖がります。

失敗を怖がるあまり、失敗の可能性をもたらす新しい行動をとろうとはしません。

ネガティブである

ひきこもりは自分に自信がないので、どうせ自分が行動を起こしてなにかやろうとしても失敗するに決まっていると考えます。

なので、なにかしたいことが思い浮かんだとしても、その次に、失敗する理由を無意識に探し続けて、結局は行動を起こせません。

人の視線が気になる

ひきこもりは自分に自信がないので、自分の行動はおかしくないか、失敗はしていないか、他人に見られていると視線が気になります。

自分が心底にダメな人間であることを自覚しているので、人に見られるとそのダメさを見られているようでとても気になります。見られたくないです。

 

中級ひきこもりの特徴

ひきこもってから、それなりの期間が経過してしまうとこの状態になります。まとまな人間らしい精神状態からは離れていきます。

一応、生きてはいるれれど、生活時間のほとんどをマイナスな精神状態で過ごすことになります。

喜びや楽しさなどまるで感じませんし、焦りや苛立ちなど(負の感情だとしても)活力に満ちた精神状態になることも、誰かに助けを求めることもほぼなくなり、悪い状態で精神は安定し始めます。

人間性が欠落していき、人間という個性ある生き物から、ただの物体になりさがっていきます。

 

家族との接触はしない

家族が昼に活動するのであれば、自分は夜に活動するようになっています。

同じ家で生活はしていても、顔を合わせることはほぼなくなります。

会話ができない(コミュニケーション力がなくなる)

人と話すことがなくなるので、以前は普通にできていたはずの会話能力がなくなります。人との会話に集中できなくなっています。話がもう頭に入ってきません。

無意識にできていたことができなくなっています。

相手からの問いや投げかけに、どんな返答をすればいいのか、ということが浮かんできません。

体力が衰える

部屋から出ないので、どんどん体力は衰え、最低限、起きて食べて寝るという行為ができるだけの体力を持つ身体になっています。一日の睡眠時間は22時間程度になっていたりします。

死にたいと思う

どうせ生きていても楽しいことなんてないし、家にひきこもっているのも居づらくて罪悪感を感じるし、辛いから死にたいと思っています。

辛いといった感情は、そのうちに抜けて落ちていき、ただ死にたいと思う気持ちだけが最終的に残るようになっています。

この世から消えてなくなりたいと考える。けれど、死ぬ勇気もない。

無気力無関心である

臆病でネガティブなので、行動を起こすことをしなくなりますので、無気力になります。

死にたいと思っているので、世間のこととか自分の人生のこととか家族のこととか、無関心になります。

というよりも、死にたいとか生きたいとかという気持ちもなくなっていきます。

生きている実感はなくなっていきます。

世界との接続が切れた感じになっています。

自分のことでも、どこか他人事のように捉える感覚が強いです。

 

上級ひきこもり

この段階までくると、ひきこもりが一周回って表面上はまともに社会に出ることできるようになります。

ひきこもりの状態もここまで来れば、もはやひきこもりではなく、ひとまず安定します。

 

偽りの悟りを開く

「ああ、自分の人生はもう終わったんだな」としみじみと思います。諦めから来る微妙な一種の悟りを開きます。

自分の部屋にひきこもっているのも、外でただ肉体を動かすのも、どんな活動をしていても、どうせ精神的に死んでいて虚しさを抱えるという意味では同じだと考えるようになっています。

ひきこもりであることを開き直り、受け入れる

自分の人生が終わったということで、焦りや虚しさや世間体への過度な反応(or無反応)はなくなり、もうありのままの自分でいいいよと開き直ります。

「もう終わった人生なんて、どうとでもなっていいから。どうせなら虚しさを楽しんでやろう。 どうすれば楽しいひきこもり生活を送れるのだろうか?」とネガティブが臨界点を超えて、ポジティブに転じて考え始めます。

完全なるひきこもりになるには、自立は必要であると気づく

楽しいひきこもり生活を意識するようなると、親に依存しないと生活できない状態というのは、ひきこもりとしては不自由であるということを感じます。

私の場合は、ひきこもりからの脱出とは、親からの脱出と同じ意味でした。

親から脱出して、充実なひきこもり生活を送るために、労働意欲が目覚めます。

自立のために、外に出ようとします。

外にいても自分の世界にひきこもっていればよいだけという認識に至ってますので、外の世界への恐怖心を克服できます。