ひきこもりの定義とは何か【言葉の意味が広い…】

ひきこもりの定義とはどんな意味なのか。

ひきこもりという言葉は日常でよく聞きますが、色んな状況で使われており、意味が広いです。

多様な意味に混乱してきたので、ひきこもりの定義を改めて整理してみました。
意味の広がり方や使われ方に興味のある人は読んでみてください。

ひきこもりは3つの意味・定義に分類できる

ひきこもりという言葉の定義には、大きく分けると3つの意味があるように思います。

  • 一時的に外出状況が普段よりも低下している状態の「ひきこもり」(元々の意味)
  • 病的な状態としての「ひきこもり」
  • 生き様、ライフスタイルを言い表しての「ひきこもり」

日常で人々が使用している場面を見ている限りでは、上記の3つに分類できます。

また、下記のようにも分類できます。

  • ニュートラルな意味
  • マイナスな意味
  • プラスな意味

本来の意味から広がりを見せていき、現状では辞書には載っていない使われ方も日常ではされています。

ひきこもりの定義から使われ方を図で分類すると、イメージとしては下記のようになります。

ひきこもりという言葉の定義、使われ方の分類図

意味の広がり方を見ると、納得できるような広がりをしていっているのがわかると思います。

この記事では、それぞれの意味や由来について簡単に書いていきます。

ひきこもりという言葉の本来の定義

引きこもりとは、「引きこもる」という動詞の名詞形です。

「引きこもる」という動詞は、同じ場所でじっとしていて出てこない様子や、外部との接触を断って深く入り込むことを意味します。

古くからある一般的な動詞です。

(一時的に)外部に出ない、接触しないという意味の動詞が「ひきこもり」の始まりでした。

ただし、名詞の形で「ひきこもり」として使われるようになったのは、現代になってからのようです。

日常生活においては、本来の意味で使われることが一番多いと思います。

一時的に部屋に閉じこもる人や、作業に集中する人に対して使います。

ただし、純粋にただの動詞(の名詞形)として使用されているのか、他の意味(プラス、マイナス)を付加して使われているのかの見極めは必要かなと思います。

健康用語、社会用語としてのひきこもりの定義

現代において「ひきこもり」という名詞形が使われるようになった理由としては、病気の症状・事情あるいは療養のために「ひきこもる」人が多かったので、「ひきこもり (の人、の状態) 」という名詞形が使われるようになったのではないかと考えられます。

また、不登校などの「ひきこもり」の存在も人々に知られ始めました。

この頃から、ひきこもりは一般動詞の名詞形の意味だけでなく、健康用語、 社会用語としての意味合いも持つようになっていたようです。

1980年代には、ひきこもりという言葉が使用された論文が複数発表されています。
また、1990年代には ひきこもりという言葉が使用された本も発売されるようになりました。

政策の中で「ひきこもり」という言葉が使われたのは1991年の「ひきこもり・不登校児童福祉対策モデル事業」が初めてになります。
(現在の政府は、ひきこもり状態の人を精神保健福祉の対象として、様々な支援の実施のために『「ひきこもり」対応ガイドライン』を策定しています)

再定義されたひきこもりの定義

ひきこもり研究者として有名な精神科医の斎藤環先生は、(社会的)ひきこもりという言葉を世に広めた人物の一人に挙げられます。

斎藤環先生は、「ひきこもり」という言葉に対して、明確に社会的な意味を付加して、再定義したかったのだと思います。

斎藤環先生が執筆した記事からの引用です。

現代ではひきこもりという言葉が浸透していますが、最初は「社会的ひきこもり」という言葉から始まりました。
ひきこもりという言葉を作ったのは斎藤環であるとよく言われます。確かに、有名にしたのは私かもしれません。しかしこれは決して私による造語ではありません。

当時、アメリカ精神医学会が編纂したDSM-Ⅲという精神科の診断基準に、Social Withdrawal(ソーシャル・ウィズドローアル)という言葉が記されていました。

これは診断名ではなく、統合失調症やうつ病の精神症状の一つだったのです。直訳すれば「社会的ひきこもり」です(「社交不安障害」と同様に「社交的ひきこもり」が適切であると言う人もいますが、字面が語義矛盾にみえるのが難点です)。

この言葉のルーツは元々、英語だったのです。

https://medicalnote.jp/contents/150722-000005-CTDROY

『DSM-Ⅲ』という精神障害の判断マニュアルにおいて、「社会的ひきこもり(Social Withdrawal)」という用語は、症状として使用されていました。

例えば、「風邪」という病気には「急性上気道炎」という「病名」があります。
そして、その症状としての「頭痛」「発熱」などの症状があります。

『DSM-Ⅲ』 においては、「社会的ひきこもり」とはあくまで「統合失調症、摂食障害、外傷後ストレス障害」といった様々な精神障害の症状として扱われていました。

しかし、斎藤環先生の言う「ひきこもり」、あるいは日本の世間で使われて、定義されている「ひきこもり」の意味は違います。

斎藤環先生はひきこもり概念の定義として以下のように言っています。

  • 6カ月以上、自宅にひきこもって社会参加をしない状態が持続すること
  • ほかの精神障害がその第一の原因とは考えにくいこと

斎藤環先生が執筆した記事からの引用です。

まず、1つめについてです。

「社会参加をしない」とは、「家族以外の人間関係がない」「社会に参加する経路がない」ことを指します。

ですから、「外出していないからひきこもり」なのではありません。
ひとりで外出しているひきこもりの人もいます。

あくまでも対人関係の有無がポイントであって、家庭以外に居場所がなく、家族以外の親密な人間関係がないことを指して「社会参加をしない」とみなしています。

https://medicalnote.jp/contents/150722-000004-ELGBXN

次に、2つめについてです。

ひきこもりの原因が「精神障害」にはない場合ということです。厚労省の研究班によれば「ひきこもりの95%は精神障害と診断できる」と報告されていますが、その症状が一次的なものか二次的なものかの区別は重要です。

ひきこもりは本人にとっても非常にストレスフルな状況であり、そこからさまざまな精神障害が二次的に生ずる場合があります。

つまりこの場合は、原因が「ひきこもり」で結果が「精神障害」です。しかし、ひきこもりの原因として「精神障害」があるパターンはそれに当てはまりません。

https://medicalnote.jp/contents/150722-000004-ELGBXN

つまり「ひきこもり」という言葉とは、精神病として扱われる言葉ではなく、社会に参加して家族以外に親密な人間関係を築いていない人に対して使われる言葉ということです。

たまに「ひきこもり=精神病、症状」と認識している人がいるのですが、間違った使い方です。

ただし、この用法で使う人も一定数いるので、(社会的)ひきこもりとは別に、(精神病的)ひきこもりという意味があると認識しておいた方がいいのでしょう。

厚生労働省におけるひきこもりの定義では、(社会的)ひきこもりの意味が使用されています。

「仕事や学校に行かず、かつ家族以外の人との交流をほとんどせずに、6か月以上続けて自宅にひきこもっている状態」
厚生労働省「ひきこもり施策について」

ただ、私としては、「ひきこもり」の定義に以下の点を加えてほしいと思っています。

  • 経済的に自立していない(家庭が経済的に困っている)
  • ひきこもり本人が精神的ストレスを感じている

本当に社会的な観点から問題視するなら、あるいは、ひきこもり当人の健康を考えるなら、定義づけにはこの2つは外せないのではないかと思うからです……。

私の意見は置いておくとして、この意味での「ひきこもり」という言葉は、マイナスの意味、後ろ暗い意味、病的な意味として否定的な意味として使用されています。

ひきこもりに関係する一部の人たちを除いては、 あまり使用する機会はない用法です。

ニュースや社会問題として話すときだけでしょう。

ただし、定義から外れている人に対しても、悪口や侮蔑として使われることはあります。

ひきこもり主婦、仮面ひきこもり、準ひきこもりという言葉【派生用語】

「ひきこもり」という言葉の定義の一番のポイントは、親密な人間関係が(家族以外に)あるのかどうかです。

なので、「仕事や学校に行かずに」や「6か月以上続けて自宅にひきこもっている」という意味を取り除いて「ひきこもり」という言葉が使われるようにもなっています。

それが「ひきこもり主婦」です。

家事以外の用事以外では外出せず、外で誰かと親密な人間関係を築かない主婦を指して使われるようになりました。

また、「仮面ひきこもり」という言葉もあります。

この言葉は仕事や学校には行っており、一見すると社会参加しているように見えるのですが、(誰とも)親密な人間関係を築いていない人を指して言われる言葉です。

体験談からすると、この状態の人はなにかのきっかけで、「ひきこもり」になりやすいかなと思っています。

また、「準ひきこもり」という言葉もあります。

この言葉は、「仕事や学校に行かずに6か月以上続けて自宅にひきこもっている」けれど、完全に自宅から外出しないわけではなく、自分の用事があるときは外出するという人に使われます。

きっと、甘えとか怠けとか言われやすい「ひきこもり」層だろうなと思います。

生き方、ライフスタイルとしてのひきこもりの定義

社会用語としての「ひきこもり」がマイナスの意味合いで使われることに対して、ライフスタイルとしての「ひきこもり」はプラスの意味合いで使われます。

「ひきこもり」気質の人が否定的に使用される「ひきこもり」に対して、反発するように肯定的に「ひきこもり」という言葉を使い出したことが始まりなのかなと思います。

ライフスタイルとしての「ひきこもり」こそは、使われ方が広く、はっきりとした定義はありません。

なので、「6か月以上自宅から出ない」や「社会参加の有無」といった、何か条件のある定義ではありません。すごく自由に使われています。

使う人それぞれによって意味合いは違ってきます。

ただ、簡単に言えば、「自宅で一人で過ごすことが多い」人が「本人はさして精神的ストレスを感じておらず、楽しんでいる」という意味合いで捉えておけばいいと思います。

「ひきこもり」を生き方の1つとして、主に肯定的な意味で使っているかどうかですね。

自由時間を部屋で過ごす、インドア趣味の人や、とくに趣味はないけど別に不満もないという人などが当てはまります。

また、プライベートで普通によく外出する、単なる在宅ワークの一部の人も何故か「ひきこもり」と自称したがって使われます。

注意点としては、深刻な「ひきこもり」当事者あるいは経験者が、 一度も深刻な「ひきこもり」経験をしたことがない人と関わるときです。

少しだけインドア志向だから自分のことを「ひきこもり」と表現している人のことを、自分の同類だと思って話してみた結果……

温度感が違い過ぎて、互いに気まずい思いをするという悲劇が起こらないようにしたいものです。(私は経験済みです)

ひきこもりの多様な定義と使い方のまとめ

ひきこもりという言葉について、軽くまとめてみたいと思います。

細かく見ると、「ひきこもり」という言葉は便利すぎて、意味が派生していき、多様な広がりを見せていますが、大きく分けると3つに分類できます。

会話で使用するときやニュースを見るときに注意するべきは、3点でしょう。

  • ニュートラル、マイナス、プラスのどの意味で使用されているのかどうか
  • マイナスの意味で使われているときは、精神病扱いなのか社会参加の観点なのか
  • マイナス、プラスの意味で使われているときは、どの程度のレベルなのか

私が「ひきこもり」に関してのの会話でモヤモヤした気持ちになるのは、互いが使っている言葉の温度感が違うときだなと感じています。

なので、上記のことについて、気を付けて会話していれば「ひきこもり」という言葉を使っての会話でも大きなすれ違いや誤解は生まれないと思います。

うーん、日本語は難しですね。


このブログにとってのひきこもりの定義

追伸です。
このブログには、ひきこもりニートについて書いた記事がいくつかあります。

ブログで扱う「ひきこもり」について、定義を書いておきます。

このブログで書かれている「ひきこもり」とは、私にとっての「ひきこもり」です。

私の経験からくる「ひきこもり」です。

なので、社会で一般的に言われる定義とも違うし、医者や学者が言う定義とも違います。

勝手な定義である、ライフスタイルとしての「ひきこもり」になります。
否定と肯定、両方の観点を含んだ「ひきこもり」です。

というよりも、感受性としての「ひきこもり」という言い方が適切かもしれません。

私にとってのひきこもりとは、生きづらさでした。

私は違和感や疎外感、失望感を感じながら日々を生きてました。

その気持ちが徐々に大きくなっていき、ふとしたきっかけで限界点を超えました。

社会への恐怖、他人への怯え、自分への嫌悪、生きることへの諦め。

泣きたくなるような孤独感。
叫びたくなるような焦燥感。
うずくまりたくなるような絶望感。

どうすればいいのかわからなかった感覚。

そんな気持ちを抱えて、私はひきこもりニートになっていました。

社会との断絶。世界との絶縁状態でした。

私にとって、ひきこもりとは挫折であり、ひとりぼっちの傷ついた心でした。

なので、このブログにおけるマイナスの「ひきこもり」とは、表面的に見えやすい社会活動の有無だけでなく、その人が「孤独な生きづらさ」を抱えているか、です。

「自分の人生に対して納得できているのか」や「親密な人間愛を抱けているのか」といった精神的な面に重きを置いて、自分の中で定義して書いています。

これが私にとってのマイナスの「ひきこもり」です。

プラスの「ひきこもり」とは、生きづらさ克服の手段を考えた場合に思い浮かぶものです。

生きづらさ克服の手段は2つの方向性が考えられます。

  • ①社会に参加し、親密な人間関係を築くことで孤独を克服し、自分の人生に満足する
  • ②たとえ世界中で自分一人だとしても、孤独感を感じない心を持ち、自分の人生に満足する

極端な言い方ですが、②のように孤独そのものを感じない心の在り方を持つことをプラスな「ひきこもり」として定義しています。

(ちなみに、①はひきこもり克服や脱却の定義だと考えており、記事を書いてます)

もし、このブログに書かれている他の記事を読むときは、肯定否定の両特徴がある感性としての「ひきこもり」の定義を前提にして書かれていることを念頭に読んでくだされば幸いです。

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