外に出るのが怖いひきこもりニートにまず必要なこと

ひきこもりニートが外に出るのが怖いのは当たり前です。

私は長期のひきこもりニート期間を経た後に、外に出るのが怖くなりました。

今は外に出て働いて、生活は問題なく送れるようになってはいます。

医者でも専門家でもない、外へ出られないひきこもりニートだった私が外出できるようになった経験から、まず外に出るに当たってしたことを書いておきます。

それは、なぜ外に出るのが怖いのか理由を考えることでした。

これは、ひきこもりニートの克服へ必要な一歩でした。

ひきこもりニート、外に出ることを欲する

私の生活範囲は完全に自宅内のみで完結していました。ずっと外に一歩も出ない日々が続いていました。外に出るのが怖ったです。

ただ、ずっと何年もひきこもっていたら、ある頃から身体を動かしたいという欲求に私は駆られました。

部屋でほぼじっとしているだけだったので、身体を動かさないことが強烈なストレスに感じられたので、外に出たいと思ったのが私のきっかけでした。
(外に出たいと思うききっかけは「人生をやり直したい」や「生活費がいる」など、人それぞれだと思います。)

ひきこもり精神を上回る人間の本能だったのだろうと思います。

それで、田舎に住んでいた私は、誰にも会わないですむ深夜に家を抜け出して、歩いたり、走ったりするようになりました。

でも、相変わらず昼間に出かけることはなく、引きこもっていました。

昼間に外に出るのが怖かったです。

なぜ深夜は外に出られるのに、昼はでかけられないのか?

怖いのは外に出ることでなかったです。私は人目が怖かったのです。他者の存在が怖かった。

 

ひきこもりニートが外に出るのが怖い理由とはなにか

上の話で言いたかったことは、外が怖いという表現を耳にするし、私も家族に言うときにこの表現を使っていたと思うのですが、この表現は無意識なごまかしがあるのではないかと思えています。

ひきこもりが外に出るのが怖い理由なんて、極論すれば、ひとつしかありません。

ひきこもりが外に出るのが怖い理由は、他人の存在、視線です。

本当は、「外に出るのが怖い」という表現は正確じゃないのだから、「他人が怖い」という表現を使うべきなのです。

(例外として、身体的な理由でつらくて、外に出るのが怖いというのは除きます)

 

地元で実家にひきこもっている人は、近所の目が怖い

ピュアな幼少期からすでに家から一歩も出ずにひきこもっていたという生粋のエリートひきこもりはまずいないでしょう。

そうなると、多かれ少なかれ、地元の人々、学校の友人たちだったり、近所づきあいの人たちだったり、人とのつながりがあるかと思います。

地元の実家でひきこもっている人にとっては、本来ならありがたいはずの人のつながりが監視網というか牢獄というか、身動きを取れなくする大きな要因になっていると思います。

いざ外に出ようとしても、知り合いに見つかって噂を立てられたらどうしようと考えてしまいます。

私はそうでした。

今の、ひきこもりであるダメな自分を知られたくなかった

昔のまとまだった頃の自分と今のひきこもりである自分を比べられて、「ダメだな」と思われるのが怖かったです。

知り合いの視線が怖かったです。

 

ひきこもりである自分を他人に見られるのが怖い

私は別に自分とは関わりのない赤の他人であっても、見つかると、あるいは、話すことがあると、極度に精神が不安定になりました。

人と目が合えば、目に涙が浮かんできます。
心臓が早鐘のように鼓動を刻み始めます。、
顔に血が集まってきて、赤くなります。
身体の体温は上がり、冷や汗をかきます。

クラクラするような心持ちなって、気分が悪くなります。

その場から一刻も早く逃げ出したいとの考えばかりが頭を回って、他にはなにも考えられなくなっていました。

わりと重度な対人恐怖症だったのではないかと思っています。
(精神病院に行ったことがないので実際はどうなのか知りませんが……)

私は人に見られると、自分がひきこもりニートのダメ人間であることを知られるんじゃないかと思って怯えていました。

自分の見た目がひどいから、目立って、自分のダメさが見つかるじゃないかと。
自分の内面が覗かれてしまい、自分のダメさが知られてしまうんじゃないかと。
自分の行動がおかしくて、自分がダメな奴だと知られてしまうんじゃないかと。

人目ばかりを気にしていました
人の視線が怖かったです。人と接することが怖かったです。

 

幸せそうな普通の人々の姿を見るのが怖い

外に出ると、イヤでも目に入ることになる幸せそうな普通の人々の姿。

そんな幸せな人を直視してしまうと、不幸な自分と比べてしまうことになる。

人生を踏み外して、孤独で誰からも救われない、残りの人生にも希望はいだけなくて、ただ生きるのが辛いだけの自分という存在を浮き彫りにされてしまう。

ダメな自分から目を逸らすために、外の世界のことを考えないようにしていました

ますます、部屋にひきこもっていました。

人を見るのが怖かったです。

 

ひきこもりニートが外に出るのが怖い理由の正体

上の話で言いたかったことは、「他人が怖い」という感情はどこから来ているのかということです。

改めて言い直すと、ひきこもりが外に出るのが怖い理由なんて、極論すれば、ひとつしかありません。

ひきこもりニートが外に出るのが怖い理由の根本は、自分のダメ人間さです。

すべての理由はここに行き着くと思います。

自分がいかにダメな人間であることを自覚しているからです。

自分のダメさを恥じるからです。

私は、普通のことができない自分という存在を知っていました。

頑張れなかった自分を知っていました。
甘えていた自分を知っていました。
ずるい自分を知っていました。
頑張れない自分を知っていました、

そうした事実からくる、劣等感と自己否定の気持ちにまみれていました

だから、きちんと生きている人たちに見られるのが怖かったし、接するのが怖かったのです。

自分の外見に自信がないとか、人とまともに話す自信がないとか、こういうのも上記の事実とはまた少し別の事実から生まれる気持ちかもしれませんが、それが行き着く先は結局のところ、劣等感や自己否定という感情であるという意味では同じです。

 

理由がわかると、外に出られるようになる方法を考えられる

この記事をここまで読んでいるような人は、多かれ少なかれ「自分のダメさから逃げている」自覚があるのではないかと思います。

「外に出るのが怖い理由は、自分のダメさが根本的な理由なのはわかった。知っていた」と。

それで、こんなことわかっていることを考えたところで、外に出るのに役に立つとは思えないかもしれません。

ぶっちゃけ、その通りかもしれませんが、でも、まず私は考えました。

なぜなら、「外に出るの怖い」とかマイルドな表現を使っていたり、「他人が怖い」と他人を主役とした表現を使っていると根本を忘れがちになるからです。

「自分のダメさが知られるのが、知らされるのが怖い」と自分を主役とした表現で、自分が原因だということに目を向けることが、ひきこもり脱出を簡単にしてくれると考えたからです。

外に出るのが怖い原因が「自分のダメさが知られるのが、知らされるのが怖い」であると考えられたならば、外に出られるように対策方法を考えることができるからです。

対策方法は、いずれ書きたいと思います。

 

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